──「楽園のゲルニカ」が投げかける問い

南海の島ペリリュー。
青い海と輝く白砂、穏やかな珊瑚礁に囲まれたこの小島で、かつて地獄のような戦闘が行われたことを知る人は多くありません。
映画『ペリリュー』は、この「もっとも知られていない激戦」を、静謐でありながらも強烈な筆致で描き出します。映画だから筆致ではないのだけど、この可愛い漫画が描く残酷な状況のギャップがすごい。

この映画は同名の原作が元になっています。わたしもその原作は読んでいました。

ペリリュー戦の過酷さ

ペリリュー島の戦闘は、太平洋戦争の中でも特異な残酷さを持ちます。
米軍の記録では「数日で終わるはずの作戦」とされながら、実際には二ヶ月以上の持久戦となり、日本兵約1万人のほとんどが戦死しました。
水も食糧も乏しく、洞窟に閉じ込められるように戦い抜く姿は、兵士たちの消耗戦そのもので、まさに「消されていく人間性との戦い」でもありました。

このペリリューの戦いは、やがて硫黄島へ、そして沖縄戦へと連なる「総力戦の深化」の前兆でもありました。

ペリリューで確立した日本軍の洞窟陣地戦術は硫黄島でさらに徹底され、

住民を巻き込む悲劇は沖縄で最大化し、

アメリカ側も「必ずしも短期戦で終わらない」という学びを経て、戦争の非人間性が互いに深まっていく。


映画『ペリリュー』は、こうした大きな戦史の流れの中で忘れられた一頁を、精緻に浮かび上がらせる作品です。

「楽園のゲルニカ」という言葉の意味

ペリリューは、本来ならば極上の楽園です。
美しい海も珊瑚礁も、現代の観光客には眩しいほどです。

しかし、そこに刻まれた戦いは、まさに「ゲルニカ」=「名もなき人々の叫び」を連想させます。

ピカソの『ゲルニカ』は、空爆により破壊された町の悲劇を象徴化した作品です。
同じくペリリューは、美しい自然が引き裂かれ、人間の尊厳や未来が失われた「楽園の破壊」そのものでした。

つまり「楽園のゲルニカ」とは、

美しさの中に隠された、声なき悲鳴を聴け。
歴史の光の外側にいる者たちを忘れるな。

という警告の言葉なのです。

映画『ペリリュー』の価値 ─ 現代人に何を問いかけるか

映画が優れている点は、単に戦闘の凄惨さを描くだけではなく、兵士たちの「生」に焦点を当てているところです。

・故郷に残してきた家族への思い
・生きたいという本能
・仲間を失う痛み
・「いったい何のための戦いなのか」という問い

それらを、声を張り上げるのではなく、非常にかわいらしい絵で、しかし確実に心に刺さる形で映し出します。

そして私たちに問いかけているのは、

戦争とは、いつも「普通の人」が巻き込まれ、傷つき、失われていくものなのだ。

という普遍的な真実です。

ペリリューの兵士たちは英雄ではありません。
投資でいえば、彼らは「巨大な意思決定の結果、現場に立たされた一人ひとり」であり、その背後にこそ戦争の本質があります。

■ 戦争とは「大局の判断ミス」が、最も弱いところに集中して降りかかること
■ 美しさと悲劇は共存する
■ 見えていない歴史こそ、私たちの想像力が必要とされる

映画は、静かながら圧倒的な力でこの事実を突きつけます。

ペリリューの戦いは、歴史の主流には登場しません。
しかし、だからこそ、私たちはそこにこそ向き合うべきなのかもしれないですね。

『ペリリュー』は、楽園の海に沈んでいた「声なき記憶」をすくい上げ、
硫黄島や沖縄戦へと続く太平洋戦争の構造そのものを考え直す契機になります。

この映画は、人間の哀しみと尊厳を描いた作品であり、
「楽園のゲルニカ」の名の通り、美と悲劇が極限まで同居する物語です。

美しいものが、もっとも深い悲しみを隠している。
私たちが未来に向けて学ぶべきは、その隠れた声を聴く想像力なのかもしれないですね。

最後に主人公が描くひとりひとりの似顔絵があります。名前も書き込まれています。
主人公は漫画家を目指していました。手帳に描かれてある戦士の肖像画と名前こそ、名もなき兵士たちがきちんと名前もあり実在している(していた)存在であることを思い出させてくれます。

あと、同期で上官の吉敷(よしき)さんが本当にやさしくてかっこよくて。よい仲間って大事ですね。ありきたりだけど。

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