あまり語らずにいたのですが、私自身、日本語で苦労した過去があります。
親が国際結婚で、日本語とインドネシア語で暮らしてきたからです。
だからなのか、言葉が通じない場所にいる人の不安や、言いたいことが伝わらないもどかしさには、少し敏感になります。
営業の現場でも、また行政書士としてお客様と面談している時も、たまに「つまり、こういうことですよね?」と話を差し込んでしまいます。
すると、どことなく不安そうだった相手の方が、ふわっと笑顔になってくれたりする。
そんな瞬間に、えも言われぬ喜びと安堵を感じることがよくあります。
今回、紹介するのは、Facebookの3年前の投稿です。
当時、中学3年生だった娘が書いた作文です。日本語とインドネシア語で。
娘は、幼稚園生のときに、インドネシアの現地校に入りました。
インドネシア語がまったくわからない状態で。
(あとで本人の作文を紹介しますが、「飛ばされた」と書いています:笑)
その時の写真が、こちら。
インドネシア語が、まったくわからない。
そんな中で、現地校に通い始める・・・。
その格闘ぶりは、この短い作文だけでも、よくわかると思います。
小学4年生の時、娘は私に言いました。
「ネイティブじゃないから、どんなに勉強しても勝てないんだよ」
私は言いました。
「そんなことはないよ。努力したら、できることは増えるんだよ」
「えっ? そうなの?」
そこから奮起して、小学5年生のとき、娘は学校の定期テストで学年1番の成績を取りました。
娘を除き、すべての生徒はインドネシア人。
「英語」以外のテストは、すべてインドネシア語で行われます。
ある時は、国語(つまりインドネシア語)の定期テストで100点を取ったこともありました。
教室で、先生からみんなの前で褒められて。
先生が「インドネシア語のテストなのに、君たちはなんで外国人に負けているんだ?」と言って、クラスが爆笑の渦に巻き込まれたという話も聞きました。
(本人からだけでなく、他の親御さんや、先生との三者面談でも聞かされました)
現在、私は仕事として、日本人アーティストやインドネシア人アーティストの海外PRの支援をしたり、多言語翻訳の業務をしたりしています。
また、行政書士として、外国人の方の在留支援もしています。
今回の娘の投稿を読み返して、あらためて思いました。
振り返ってみると、自分自身の原体験が、どこかで今の仕事とつながっているのかもしれないなと。
3年前は、ただ「娘は、頑張ったんだなぁ・・・」と思って投稿した文章でした。
今読むと、また違った意味で心に残ります。
最近、仕事の現場で聞かれることがあります。
「翻訳なんて、AIを使えばOKですよね?」って。
そうじゃないんだよなぁ・・・。
ときどき、日本に住むインドネシアの若者から相談のメッセージが来ます。
「日本で働いているけど、想いが伝わらなくて不安です」とか、
「相談したいのに、対応してくれない」とか。
「こう伝えてみたら?」と言っても、「言えない」って。
「だから、渡邉先生に連絡したんですよ」と。
なかなか自分の中でも、まとまらない想いがありつつ。
でも今回、3年前の娘の作文を再読してみて、自分の中で心に呼応するものがありました。
だから、取り急ぎ書き残してみました。
なんと言うべきか。
たしかにAIも有用です。
でも、コミュニケーションって結局のところ、「ヒリヒリとするようなイノチの縁」なんだよな・・・。
ちなみに、上記の作文を書いた中3の娘は、こちら。
そして、先ほどの日本語の作文。
娘が書いたインドネシア語の原稿は、こちら。







