AIが人々の日常生活の中に馴染んでいる。

私もシンギュラリティという言葉を最近、頻繁に聞くようになった。ざっくりと言えば、人工知能(AI)が人間の知能を大幅に凌駕し、それによって人類の社会や生活が予測不可能なほど決定的に変化する転換点を指す言葉だそうだ。

しかしそれも、1983年代にはもう「わかる人達」には常識だったらしい。もっと言えば1950年代には概念としては既に語られていたとのこと。

ああ、私の知らない世界があちこちで、恐ろしいスピードで増大しているのだな、という肌感がある。

さて、今春から社会人大学院生となった私も、AIとの蜜月は欠かせない。

おそらく人間が、自分の目で、自分の足で探したら半年は掛かりそうな知見を、彼(?)は10秒ぐらいで提示してくる。

さらに、【プロンプト】なるものを指示書に入れれば(私は無理だが)、もはや美しい成果物の作成まで完了してくれるらしい。

一方で、その「美しい成果物」だが、私は、どうにもオリジナリティや心に迫る内容とは思えない。何だか凡庸でどこかで聞いたことがあるような「美しさ」だと思う。

だからこそ、これからの子ども達の教育は、「問いを持つ力」とか「発想力」の育成が不可欠だと言われるのだ。今教育業界では大流行だもの。

もしも新奇性のあるフックを投げかけられたらAIは良い仕事をしてくれるだろうからそれも納得だ。

さらに、私が留意していることは彼(AI)の示す情報の不確かさだ。

「こちらに関する文献としては、〇〇があります」

などとドヤ顔(雰囲気ね)で提示するのだけど、見てみたらそんな論文は存在しなかった、ということは少なく無い。

「そんな論文は無かったよ」
と入力する。

すると彼は、
「それは失礼いたしました。△△でした」
などと、慇懃無礼、かつ厚顔無恥に返してくるではないか。だから原著まで調べるのは必須事項だ。鵜呑みだけはどうにも避けるべきだ。

そして、私は彼の相手としては、あまりに【人間的】なので、
「ちゃんと、調べてから答えてくれない?」と文句を言う。

そもそもPCの設定には、デフォルトで、
◇推測や適当な解答はしないこと。
◇解らない時はそう言うこと。
◇国内外の文献を整理すること。
などと指定しているのに、これである。

「あまりに適当だと他のAIにしちゃうよ」などと、打たれ強い部下に対する嫌味な理不尽上司のように苦言を伝える。

そう、彼とは、ただいま絶賛関係構築中なのである。

ところが先日、夫と息子に、
「なあんか、平気で嘘みたいな事を言うから、『ちゃんと調べて!』って伝えたのね。そうしたら、彼しばらく考え込んでいるのよ。健気で可愛いよね。きっと彼なりに成長しているのねー」
とヘラヘラと話したところ、二人とも顔を見合わせてニヤリとして言うのである。

「今後、AIが意思を持つようになって暴走、人間を攻撃し始める時代が来たら、真っ先にママみたいな人が連れて行かれるんだろうね」

えっ!そうなの?なにそれ?今、そういうレベルに来ているの?

やはり本当に、私の知らない世界が恐ろしいスピードで増大している。

それを不気味に思うのは私だけでしょうか。