世の中では寛容が良いことで、不寛容は悪いことだという風潮がある。しかし、寛容であるはずのリベラル層が不寛容な言説に染まったり、一神教は不寛容だが多神教は寛容なので日本人はやさしいといった、寛容の意味合いを履き違えた話も散見される。

寛容という言葉には、前提として評価する側の絶対的な正しさがある。間違っているけど赦す、という一方的な立場を正当化する危うさは、時には戦争や排斥を生み出すロジックとなってきた。寛容の起源にキリスト教の異教徒や異文化に対する理解という流れがあり、聖書や教義が絶対的に正しいという立場が見え隠れする。

この本では、アメリカ建国にまつわる寛容・不寛容の流れをもとに説明されている。ロジャー・ウィリアムスという主役が登場すると、話は俄然面白くなる。新大陸の土地利用に対してなぜ教皇の許可を得なければならないのか、公職に就くためにどうして宣誓しなければいけないのか。ヨーロッパ由来の既存の秩序に対して空気を読まずに反論を繰り出す彼の存在が、先住民族や女性、奴隷といった新大陸での多様な社会での寛容を形成していったのだ。

これは事勿れ主義や長い物には巻かれよという日本社会においても大いに参考になる話だ。既存の秩序を守り、権威者の言うことに波風を立てないといった、個人レベルでの寛容な行動が実は社会レベルでの不寛容に繋がっている。異質や立場の弱い者への配慮に優先して、化石のような昭和システムや根強い差別が温存されているのは随所で見られる。

ロジャー・ウィリアムスは先住民族との交流を通じて、この不寛容に対する糸口を見出していた。自分の価値観の尺度を正しく持ち、外側には敬意と礼節を以って対応すること。多くの日本人にとっては正義の価値観はアメリカからの借り物であり、ほとんどのコミュニティは同質性を好みなかなか他の価値観に触れる機会が少ない。だからこそ外国人排斥や安易なポピュリズムに走る不寛容な社会になってくるとマズいのだ。