京大の今年の学園祭テーマが『うんち』に決定したそうです。いくらなんでも京大だからって、おふざけが過ぎないか、と思いました。

ところが、なぜ『うんち』を提案するのか趣意文を読むと、印象が 180 度変わります。短文なのに妙に哲学的で、『うんち』に謎の説得力を持たせ、ユーモアに溢れてオチまで付ける。

AI では書けない文章。うらやましい文才。


以下、引用します。

便とは、体の送る便りである。我々の体内を通りその営みの多くを見届けた、我々ひとりひとりの歴史の証人である。一度出てしまえばまずもって再び我々の一部と見なされることはないし、当然その限度こそあるが、彼らを限なく観察することでそれまでの我々の歩みを、生きた様を推し量れるのもまた事実である。京都大学という大きな一つの生物を俯瞰した時に、それが排泄するものとは一体何であるか。我々である。入学を以て我々は食べられた。そして大学を卒業なり退学なりした時点で、我々は最早京大生ではない。だがしかしその身には、京都大学という生物がいかにその歩みをその時代に進めてきたかが克明に刻まれている。学祭という一大催事は、その刻まれるべき歩みにとって際立って大きな数日となろう。故にこそ我々は、この催しを通じてこの大学の良さを伝えられる便りとなろう。いずれ京都大学のうんちとなる全ての者に、この数日だけでもこの場所を訪れてうんちとなる全ての者に、多大なる幸運ちのあらんことを。

出典 URL
https://x.com/nfoffice_st/status/2090049905184461295