腰掛けで所属した程度だが、国立大学の現状はオワコンである。基幹予算の運営費交付金は漸減し、競争的予算獲得を文科省から尻を叩かれつつ目指すも、場当たり的かつ経営能力の欠如した執行体制で将来ビジョンすら覚束ない。

そんな国立大学の窮状は、2003年の独立法人化に端を発する。小泉改革における規制緩和と国立機関民営化の流れを受け、国際競争力と科学立国としての研究力を高めるために、自立的に運営することが国立大学にも求められた。

そういった美辞麗句とは裏腹に理系と文系の対立や、とくに医学部の力が地方国立大学では強く、実質的に医学部長から学長になるといった慣例が常態化している。研究する時間は減って会議と書類に追われる日常が教職員を疲弊させ、能力が高い者ほど海外や有名私大へと転出していってしまう。

一方で公共性を求められる機関として、女性教員を理事や副学長に登用したり、SDGs対応を迫られる場面も多々あった。しかし執行部の大半は1950−60年代生まれの高齢男性であり、価値観の根底に差別意識や時代錯誤な面を感じる点もあった。

まさに本音と建前の狭間で、組織としても人員としてももはや持続不可能に陥っている国立大学に明日はあるのだろうか。少なくとも47都道府県すべてに駅弁大学と揶揄される総合大学は維持できる時代ではない。