昨日まで気仙沼に滞在していました。仕事でアポがあったのと、残りはワーケーション的にゆるゆると移動しつつ、復興期が終わった三陸を中心に観てきました。

復興の終わった気仙沼の現状

気仙沼は東日本大震災直後に、復興庁の仕事で被災三県への企業人材派遣プラットフォームの設立に動いたこともあり、調査で巡った経験があります。当時は津波の被害が生々しく残り、防潮堤をどうするかといった議論も紛糾していたタイミングでした。気仙沼では防潮堤の上に公共施設を建てることを選び、海の見える場が市街地中心として生まれ変わっていました(その分建設まで10年の紆余曲折がありました)。

IMG_3323.jpeg 3.63 MB気仙沼はその名の通りもともとは湿地帯で、震災以前にも高潮などで海岸地帯は浸水することがありました。復興事業によって港全体が盛土によって2-3m嵩上げされ、その上に新しい建物ができています。

IMG_3322.jpeg 2.55 MB一方で震災以前からある建物は相対的に地表から沈むことになり、その多くが廃業して震災後の状態を保ったままとなっています。ある意味残酷なまでのコントラストが街のそこかしこで見られるわけですが、復興事業としては道路インフラを整備するまでで民業のあれこれは手つかずの状況にあります。

復興の街に現れた新しい生態系

建物以上にコントラストが大きいのは夜の街です。復興商店街として新たに建てられた複合施設には、主に漁業関係者や港湾労働者が飲み食いするための居酒屋・スナックが出店しています。元からあった商店街は建物が壊されたり空き家となって跡形もない状態なのですが、それらが単純に復興商店街に遷ったわけではありません。

むしろ中国食材を扱う店や、インド料理を出すネパール人の店(インネパ)など、主に漁船に乗っている多国籍な人々をターゲットにした移民の経営する店が出店するといった、独自の生態系ができ始めています。日本中どこでも、閑古鳥でどうやって稼いでいるのかわからない中国人やネパール人の店が増えていますが、案外広いネットワークや安定的な需給に支えられて安価な家賃の地方に出店する方が有利だったりするのかもしれません。

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移民とイノベーションで創られる東北の食

歴史を振り返れば、東北地方は産業基盤が薄く農村から数多くの出稼ぎや移民を輩出してきました。満州に渡った人々が大陸の食文化や食材に触れて、終戦とともに故郷に帰って改めて商売を始めることになります。終戦当時の物資が不足する中で、寒さに強い小麦や軍隊が革や肉を取るために飼っていた豚が貴重な資源として東北地方に広がるようになります。

始まりは屋台で、さほど水が要らないメニューが考案されてきます。中国では水餃子が当たり前でしたが、日本では高温の油で焼色をつける焼き餃子が好まれるようになり、福島の円盤餃子など東北各地で食べられるようになります。また拉麺も汁の要らない肉味噌を絡めるじゃじゃ麺が開発され、盛岡の三大麺として今も好まれています。

遠野でジンギスカンが食べられるようになった理由

岩手県内陸部にある遠野市では、局地的にジンギスカンが好んで食べられています。もともと小岩井農場の影響で、衣類を得るために綿羊を飼う文化が戦前よりあった地域で、満州から帰還した安部梅吉さんがその肉を美味しく食べる文化も持ち帰りました。最初は羊肉を敬遠していた地元の人々も、自宅で飼っている綿羊の新鮮な肉が手に入り、安部さんの考案した自家製タレで美味しく食べられると分かり、やがて広まっていくようになります。

安部さんが考えた発明にはバケツジンギスカンもあります。安部梅吉さんの息子の安部好雄さんは、当時焼き物などで使われていた七輪が悪路で輸送する度に割れてしまうことに悩んでいました。そこでブリキのバケツを改造して、その上にジンギスカンの鉄板を載せるバケツジンギスカンを始めました。今でも遠野に行くと、バケツに載ったジンギスカン鍋がドーンと出てきます。

文化交流最前線としての三陸と東北内陸部の関係

世界有数の豊かな漁場である三陸沖には、多国籍な船員が乗り込んだ漁船が多く発着します。束の間の地上生活を楽しむ漁民たちは、さしずめ水上生活者のように気仙沼で生活用品を買い求めていきます。気仙沼港のローソンは東北随一の売上げを誇っています。

かつては日本から出ていった移民たちが異文化を持ち込む役割を果たしましたが、震災という急激な変化を経験した三陸と東北地方には、いま急速に海外から移民たちがやってきています。インバウンド観光の一時的な需要とは別に、もはやこの地域の暮らしや産業にとって外国人の労働力や消費は切っても切り離せないものとなっています。

IMG_3325.jpeg 2.69 MB気仙沼BRTでトコトコと南北移動。案外、自動運転レベル4の実用化に近いのはこの地域なのではないかと踏んでいる。

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鉄路以外にも柔軟にルート選択できるBRTは、着実に地元の足となっていた。