ここで登場する「庭」とはメタファーであり、個人の趣味趣向が反映された半分閉じて半分開放された空間を指す。そこでは独自の生態系がそこに棲む生き物たちの共進化によって成り立っており、「庭」の主たる人間の思惑や思想を超越した偶発性が発生することで人生をより豊かにしていく機会となる。

果たして、科学技術の発展は私たちの暮らしを本当に豊かにしているのだろうか。とくにインターネットの登場は、Web2.0⇒Web3.0とバージョンアップが図られるとともに、誰もが発信者たり得ると無邪気に信奉されてきた。その結果がFacebookやXのプラットフォーマーによる寡占と、フェイクや陰謀論に扇動・動員される民主主義の危機である。

筆者はこのSNSの潮目を読みながら情報の真偽よりも人間関係の承認獲得に勤しむ状況を脱するために、「庭」の重要性を説く。個人的にはXを辞めて、Facebookもあまりログインしなくなっている状況だが、その分リアルな場に割く時間や役割が増えた感覚があり、高校生からお年寄りまで地域の人間関係が広がっている。

SNSの功罪について、あまりにも露悪的に語っている傾向はあるが、アメリカ大統領から街のお店までSNSでバズることを目的に短期的な利得と承認獲得を目指す社会になってしまった現在において、未来をどのように志向していくべきか個人の行動指標となり得る内容となっている。物事に対する見方や取組み方を他者の承認という外部評価によって決めるのか、それとも「庭」を持って自分と物事の距離感を最適化させるのか、多くの現代人にとって示唆に富む内容である。