Flow フッシーのヘンジンの皆様、初めまして。海外起業家のこういちです。
「海外起業家」と今は使っていますが、若い頃は「海外も起業も全く縁の無い」自分でした。
普段はFacebook住人で、日々思ったこと感じたことなど徒然なるままに日記を書いています。
ヘンジンの一人としての自己紹介として一歩踏み込んだブログを書いて行きたいと思いました。
僕の人生は「好きなことを追ううちに、住む国もやることも変わっていった」ので、そんな人生もあるのかと興味持っていただければ読み進めていただけると幸いです。
長いので、わかりやすい時系列に書いてみたいと思います。
23歳(フランス・役者)、28歳(フランス・ワーホリ・海外就職)、
35歳(フランス・起業)、45歳(フランス・会社を権限移譲)
45歳(日本・大学・大学院学び直し)、45歳(日本・スタートアップ起業)
47歳(セネガル・子会社設立)、50歳(セネガル・保健教育の電化・デジタル化実現)
52歳(3カ国・グローバルビジネスとしてつなぐ)、 53歳・現在
一つ目のグループは立志役者編として、役者になることを実現したいとの話で書いてみようかな。
23歳(1995年)、サラリーマンの上司が野毛でふんぞり返って後輩を指導している絵を見て「こんな大人になりたくない」「サラリーマンの人生が嫌だ」って思って。海外の旅に出ると退職。
ここから変わった人生になりました。
青い時代、やってみたかったモデルや役者。
日本のモデル事務所や小劇団など見学したけれど、世界観がこの小さな枠を出ていない、、
ここも違うなと思い。海外に行こうと決めた。
当時はインターネットが無いので「地球の歩き方」を本屋で見る中、
「ここに白地図がある、君の行きたい都市に点を打ちなさい。
そしてその点を線で結びなさい。それが君の旅だ」
わお、なんて素敵なんだと「ヨーロッパ編」を書い、点と線でその通り自分の旅を作った。
ヨーロッパ出入りの国はなんとなく選んだフランス・パリ、欧州バックパッカーの旅は驚きと発見しかなかった。
14カ国歩けば文化の多様性も感じるし、移動はユーレイルユースパス列車乗り放題、全ての宿はユースホステルの相部屋だったから、一期一会で言葉も通じないのに一緒にご飯食べたりどっかに行ったり、ツールなど無いからノンバーバルコミュニケーション重視で表情を読んだり、文字で書いたり、互いに辿々しい英語を使ったり。
その中でもスロバキアから来た青年は一切外国ができず、話す言葉はもはや宇宙語。
もう、手話と絵で書くしかなかったが、なんでもかんでも人と人が生身でぶつかるしかなく、今考えると当時しか出来ないめちゃくちゃ良い思い出。残念なのは会いたくても当時はSNSもメールもないゆえ、2度と会えることはないという永遠の思い出になってしまったことかな。
そして旅の終わりにフランスに3ヶ月ほど住み、映画のエキストラのバイトをしたことからこの国に戻ってこよう、ここで役者になってやろう決めた。
Ecole Florentというパリ19区の役者の学校に入学し、日本人の劇団に入って講演したり、20代前半は役者になるということを、苦労しながらも体当たりバックパッカーで学んだ表情や、オーバーアクションを伴うコミュニケーション術を駆使し、フランスで実現した楽しい時間だった。当時の記録映像はあまり無いが、フランス滞在10年目くらいにストラスブールで撮影したCMはこちら。
日本からドイツにビールを売りに来た「サラリーマン役」w
20年目の頃のCMはこちら。またしても「サラリーマンの上司役」w
役者はやってみると、本番前のアドレナリンの出方は半端なく、普段の生活では体験できない高揚ぶりがある。振り返ればあれはもう逃げしたくなるようなガクガクすることの方が多かったが、すごい刺激でもうあの経験はできないかな。
舞台は何度も体験できるが、CMや映画は一回撮ったら終わりなので拍子抜けに楽だったけど、こうした記録が残るのは今のデジタル時代にはいい感じ。
これら役者は役者で時折やっているが、27歳(1999年)にパリで妻(日本人)と出会ってからは「食える仕事」に就く必要がでてきた。
当時はビザも持っていなかった事から日本に帰るかってとこだったけど、なんと、28歳(2000年)の時に偶然、フランスでもワーキングホリデービザが始まり、そのご縁で、変わった当時の支店長が「この子、元デルモ、でもIT詳しい」と不思議な評価を後から聞いたが、試験もパスし晴れてNTT Franceに海外就職することになった。嬉しいし世界で一番楽しい職場じゃ無いかと心から楽しかったし、けど、「またサラリーマン…」というくすぶりが心の奥底にあった。
(続く)

